旅館


昭和30年代。
旅行自体がまだまだ一般的ではなかった。
現在のように時間と金があれば国内はおろか海外に自由にいける時代ではなかったからである。
国民は日本の発展の為に日夜働くのが普通であり、仕事こそが人生と言う人も結構居たそうである。
またハード面においても当時は高速道路はまだ無く、都心近郊でも舗装されていない道が大半であった。鉄道も現在と比べて
本数は著しく少なく速度も遅かった。ご存知の通り新幹線が開業するのは昭和39年である。
その為今では日帰りで移動できるところが、交通事情によっては2日程度かかってしまう事もざらにあった。

けれど昭和30年代も後半になってくると生活にゆとりが出始めてきて、旅行を初めとするレジャーにも少しずつ関心が出て
くるようになった。
旅館も初めは都心部や地方などの出張といった商用としての利用が主であったが、だんだん交通に便利な地域の観光地や温泉
地などでも活気がではじめてきたのである。
温泉旅館といっても現代のように立派なホテル形式でフロントが豪華で施設も充実しているといった近代的なものは少なかっ
た。
今でも老舗(しにせ)旅館では、質素な造りのままシステムを維持している所も残っている。
昭和30年代の旅館では一般的にフロントはそれほど広くなく客間もトイレすら付いていないのがほとんどであった。食事は
たいていは部屋で供された。
けれど当時の庶民としては旅館は「非日常」を満喫する空間としては最適であった。

昭和38年。
千葉県に住む五十嵐さん一家。この家の主人が会社から数日間の休暇を頂いたため、たまの家族サービスと言うことで家族揃って箱根の温泉旅館に宿泊することになった。
新宿駅から特急ロマンスカーに乗り箱根に到着した。家族で特急に乗るのはもちろん初めてで、子供たちは電車に乗った時点から喜びと興奮に包まれていた。
ちなみに当時から箱根には新宿から私鉄電車が直通で運行されていた。特急ロマンスカーも昭和30年代後半になると現在と
ほぼ同じ本数が運転されていた。東京に近いと言うことで当時から人気があった。
一日目は電車での移動が中心であったが景色が移り行くのを見るだけで旅情は満喫できた。
箱根湯本の駅を降り、駅前の土産物屋を物色しながら温泉街の中心部近くにある旅館に着いた。
一般的なサラリーマン一家が宿泊するのであるため、旅館も高級なところではなく、レベルも並程度であった。
当時から設備が現在の旅館とほぼ近いような高級旅館も存在はしていたが、庶民の手の届くものではなかった。
大体4人家族で3000円(現在の物価に換算して約3万円)でお釣りが来るような宿泊料金が限界であったであろう。ただ
今のように格安宿泊プランやバスツアーなど無かった時代であったのでこの程度の料金はやや高いものであったと思う。
そう考えると現在の方がやや旅行自体が安く行ける様になったのかなと思う。

五十嵐さん一家の泊まった旅館も庶民レベル程度であり、フロントは無く質素なカウンターがあるだけの玄関、風呂トイレな
しの客室、源泉掛け流しの内風呂の大浴場、【TV室】と書かれた娯楽室、宴会用の大広間といった質素な4階建ての旅館で
あった。
けれどここに滞在している間は一切の家事をしなくて済むという気楽さと、家とは全く違う広々とした室内と言うことで一家
は喜んだ。
なにしろ昭和30年代は今と違って炊事や洗濯もスイッチ一つであと何もしなくていい、と言うわけではなかったので、その
当時の主婦の家事労働力は現在の数倍とも言われている。
それが旅館だと時間が来れば食事が運ばれてくるし、布団も敷いてもらえる。しかも風呂は天然温泉である!
まさに【上げ膳据え膳 至れり尽くせり】の体験が出来るのである。

3階の客間に入るなり子供たちは「広い!」の一言であった。四畳半二間だけの住宅に住む家族としては旅館の一間は十分す
ぎる広さであったであろう。
好奇心の強い子供なので、部屋からの景色より広い旅館内を【探検】したいのである。
「広いから迷わないでね。」母の言葉もいつもと違ってきつくない。今も昔も旅先では親は怒らないのが普通である。
元気が余っている子供は客間を飛び出し旅館の中を歩き回った。
旅館の2階が大広間であり、すでに夕飯の膳の準備がされている。大広間の先には厨房があり入り口のところで従業員に入室を制止されたので引き返した。
1階に降りた。玄関の脇には娯楽室と書かれた部屋があり、そこそこ広い部屋の中にはTVと卓球台と本棚があった。
TVはいわゆる家具調式の大きいタイプで、TVがまだまだ珍しい時代だったため部屋ごとではなく旅館の一施設である娯楽
室での視聴になっていた。
それでも一般家庭にTVがある家が少なかったので宿泊客が娯楽室に集まって普段は観ることの出来ない番組を見ていたのである。
時間帯からちょうど子供番組が放送していたので「探検」を打ち切りTVに見入ってしまった。

すると父がやってきた。「夕飯だからおいで。」と言い一緒に部屋に戻った。
部屋の扉を開けるとテーブル一杯に料理が並んでいた。当時の庶民の夕飯としては豪華であるし食べるには十分すぎる品数で
あった。「食」でも非日常の世界が楽しめた。
一家は生まれて始めての「豪華」な食事を堪能した。
夜、布団の中で興奮からかなかなか寝付けない子供が「今日はとても楽しかった。旅館の料理も美味しかったし、家では見られないTVはたくさん見たし…。」
すると親は「そうだね。たまにはのんびりと旅行するのもいいな。」と言った。

レジャー全盛時代の現代。宿泊客は大型ホテル・豪華旅館・民宿・ペンションなど宿泊目的と懐具合によって自由に宿を選べ
る時代になった。
まさに生活が豊かになった証拠である。
けど頑(かたくな)に伝統を守る老舗旅館も大衆的なホテルには無い独特の味があり捨てがたい気がする。

【完】

参考資料:時刻表 昭和31年12月号(日本交通公社)
     交通公社の全国時刻表 昭和38年10月号(日本交通公社)



拙サイトのベースにある「旅館」をテーマに、K.S様が小説を下さいました!
きちんと調べられているだけあって、まるでその場にいるかのように旅館の空気と郷愁を感じられました。
また旅館に泊まりに行きたくなってきちゃいましたよv
飾るまでに時間が掛かってしまい申し訳ありません……いやもう、情けない。

本当にありがとうございました!!
※K.Sさんのサイト⇒『電網町一丁目商店街』