一幕/008
『王将酒場』は、五人が幼い頃から集会所としていた飲み屋だった。最初は食事の美味しさに、次は酒の旨さに惹かれて馴染んでいった場所――男やもめの店主が作り出した居酒屋に似つかわしくないほどの家庭的な温かさは、それぞれにとって大切な空間でもある。
「やっと来たか」
「待ってましたよ、皆さん」
椅子の背もたれに左腕を引っ掛け振り返ったのは陽介、くすくすと笑いながらテーブルにコップを並べるのは透子。
六人掛けのテーブルには普段見慣れない料理が並び、空腹には過ぎた贅沢だ。馴染みの店主は奥に引っ込んでいるのか姿が見えない。他に客がいない所を見ると、陽介の「予約」とは貸切のことだったのだろう。
「陽介さんたら、おかしいんです。『皆が来ないなら、二人っきりで飲もうか』とか言うんですよ」
「何ーっ!?」
透子が五個目のコップを置いたと同時に、龍平は総司の脇をすり抜け陽平に詰め寄った。早足で真横から消えた親友に総司が驚いたのも束の間、最後に店へと入った荻乃もまた意味深な笑みを浮かべている。外に騒音が響かないようそっと閉められた扉は、傍観者を決め込んだ彼女に似ているのかもしれない。
「たとえ我らが陽介兄さんとて、抜け駆けは許さないっすからね!」
「それはさておき、遅いぞ龍平」
「……何でそこで俺だけ注意なんすか」
「叱られ役は常にお前だからな。そしてここでは僕がルールだ」
陽介の返してきた言葉は不可解で、明らかに酔っ払いのそれ。彼は商人故にか品物の良し悪しが判断出来る男ではあるが、そこまで酒に強い訳では無い。よって顔は既にほんのりと赤くなり、普段のように筋の通った話も出来ないでいる。
毒見の量を越えた兄貴分のそんな飲みっぷりに、総司はつい吹き出してしまった。
見れば透子も荻乃も口元にたたえた微笑が心なしか震えており、どうにか声を上げるのを抑えている様子。小競り合いをしている当人達がそれを知ったら、さぞかし不満に思うことだろう。
「ルールなんて知りません。俺は飲みたい気分なんですー」
龍平は陽介の右手に収まったおちょこを睨みむくれている。しかし機嫌良く手酌を続ける陽介には、弟分の現在の気持ちがわからないらしい。直球で飲ませろと言っているにもかかわらず、「うんうん、そうか」と気楽な相槌を打つばかりだ。これでは埒が明かない。
「それじゃ、早く乾杯しませんか? あたしも龍平さんに賛成!」
昼間と同様、やんわりと口論を止めたのは透子だった。第三者に言われると双方ははっと我に返り、互いから目を背ける。
「透子ちゃんの言う通りね。陽介君もタツも、お昼に引き続きトラブルメイカーとは頂けないわよ?」
こらえきれなかった笑みを一瞬で苦笑に変え、荻乃は三人に数歩歩み寄った。透子が安堵の表情を見せた所から考えて、仲裁役も一人だけでは不安だったのだと思われる。
荻乃が透子の援護に回れば、さしもの龍平も折れるに違いない。総司には確信があった。
「タツは私の弟だし、透子ちゃんは私の妹みたいなもの。陽介君だって大事な友達よ、だからお酒の席でまで喧嘩しないで」
「オギ姉……」
ばつの悪そうな顔で頬を掻く龍平は、既に血の上った頭が沈静化しているようだ。
「一つだけ訂正してくれ……昼間のアレ、半分は荻乃のせいだろうが」
一方の陽介も酔いが回る身体に力を入れ、文句を言いながら立ち上がる。次いでおちょこを名残惜しそうにテーブルへと置き、「透子ちゃんには迷惑掛け通しだな」と謝りつつ肩を竦めた。
場が落ち着いたのを見計らって、総司は女性陣より前に出る。便乗と言われようが何だろうが、飲んだくれの兄貴分と親友を一緒に相手に出来るのは自分だけだ。陽介と龍平の肩を軽く叩いてから、コップを二つ手に取った。
「早速乾杯でいいですよね? な、龍平も」
「……ああ」
「おう!」
店主が厨房から戻ってきた時、五人は揃って鍋を囲んでいた。彼らのことを学舎時代から知っている男は、片目で以ってその平和な光景を見つめる。
顔の左半分には瞼を通って直線が一本。かつての大反乱の時分――総司の父親を筆頭とした革命軍に参加した店主は、そこで妻と左目の視界を失っているのだ。右目の動きに従って傷ついた眼球も微かに動いたものの、瞼が持ち上がることは叶わない。
「よぉガキ共、いつにも増して仲いいな」
程よいアルコールのお陰で意気揚々と鍋をつついていた龍平の背後から、店主はにやりと口角を上げながら声を掛ける。
「もうガキじゃねーって。おっちゃん、笑ってないで酒追加!」
「タツ、その言い方が子どもじみてるのよ」
荻乃はコップを掲げたしなめるように言ったが、赤くなった目尻のせいで迫力には欠けている。否、総司にはむしろその姿が色っぽく思えてならない。
あまりじろじろ眺める訳にもいかず、麦酒をあおる。馴染みの薄い酒は苦く、酩酊するには少々弱かった。
かたや先程の続きとばかりに、清酒をちびりちびりと飲んでいるのは陽介だ。しばらくはあっさりと和解した龍平と酒を注ぎ合っていたけれども、今の龍平は酒よりも料理に夢中らしい。そこまで兵士達の集まる隊舎の食事に飽いていたのだろうか。
少しばかり陽介の顔は寂しそうである。自分が代わりに付き合ったほうが良いのかもしれない。
「総司さん、大丈夫ですか? ……もしかして、気持ち悪いんですか?」
一人素面のまま問うてきた透子の声に、総司は振り向く。不安げに揺れる瞳は、明らかに己を心配してくれている。
教師という堅苦しい職業のためであろうか、彼女は勧められても飲酒をしない。五人の中で最も若いとは言え飲めない年齢でもあるまいに、頑なに拒否するのである。以前四人がかりで問い詰めた時には「余計なことを喋っちゃうかもしれないから」と言っていたのだが、そこまで守秘義務を重視する必要はあるのか否か。労働者にはしっくり来ない。
総司は年下の少女の優しさを受け入れ、ぎこちなくも笑った。
「いや、平気だ。透子も悪いな、俺達ばっかり飲んでて」
「気にしないで下さい。あたしはここにいるだけで幸せですから」
「幸せ?」
どういう意味なのだろうと考え込むと、突然透子が茹蛸のように真っ赤になった。彼女らしくも無くわたわたと慌てたかと思えば、両の掌で総司の顔を眼前から押し退けようとする。
「違います、別にそういう意味じゃ無いです! ええと、その、……ほら、飲みましょう?」
せわしなく動いていた手はいつしか麦酒の瓶を持っており、まだ半分も飲み干していない総司のコップに黄色い液体を更に注ぐ。
こちらとしては地雷は踏んでいないはずだが、何があったのか。深酔いを尋ねたと思ったら今度は逆のことをしてくる透子には、本音では驚きを隠せない。
「……ああ、ありがとう」
しかし必死な姿がどこか可愛らしかったため、総司も乗せられた振りをすることにした。
鍋が雑炊へと変わる頃には、店主も若者にすっかりまじって酒を飲んでいた。傷に障るのではないかとも思ったが、本人に問題が無ければ構うまい。
「総司君も透子ちゃんも、食器貸して。タツが食べ終わっちゃう」
「あ、はい」
「あたしも手伝います」
世間話に花を咲かせていた総司と透子は、荻乃に促され動き出す。立ち上がると、陽介が葡萄酒に手を伸ばしている様子も龍平が義姉からお玉を奪い取られてしょんぼりしている様子もよく見えた。
締めの料理を取り分ける彼女を、軽く冷やかしたのは店主。
「荻乃ちゃんなんてもう、すっかり別嬪さんになっちまって……いい人はいるのか?」
「セクハラ!」
荻乃は雑炊を盛った食器を透子へ渡してから、そっぽを向いて柳眉をひそめる。龍平はその異変を敏感に感じ取り、料理を口に運ぶ手を止めて店主に言い返した。
「おっちゃーん、オギ姉に手を出す気なら俺を倒してからにしろよ?」
「シスコンのガキは黙ってろ」
「って、ガキじゃねーって言ってるじゃんか!!」
売り言葉に買い言葉でも、口論は年の功で店主が圧倒的に勝っている。そもそも、力押しで生きている龍平が誰かと机上で張り合えるとはとても思えないが。
陽介はニヤリと笑みを形作って冷やかした。
「熱いな青少年。お前がそんな奴じゃ、荻乃だっていつまでも結婚出来ないだろ」
誰よりも長時間アルコールを摂取し続け、着物の裾から伸びた足をぶらぶらと揺らす男。行動は退行し血液の半分がすっかり酒になっているような状態でも、屁理屈に関しては『毒見』の時よりも冴えてきている。龍平は返事に窮したようで、雑炊を自身の口内に豪快に流し込んだ。
親友が火傷をしていないよう内心願いつつ、総司も兄貴分に倣って言ってやる。
「そうだぞ。いい加減義姉離れするんだな」
「ちょっと……総司さんまで」
呆れ声を上げたのは透子である。男性陣のふざけ半分の言い合いに毎回振り回されている彼女には、耐え難いものがあったのかもしれない。
「荻乃さん、いいんですか? 皆さんったら好き放題……」
「でもオギ姉はすっげー美人じゃん。でしょ、透子ちゃん?」
龍平はその正論を、空気も読まずに遮ってしまう。総司と陽介がやりすぎたか、と後悔する頃には、いささか困惑気味の荻乃と怒るタイミングを逃した透子がそこにいた。火種となった店主はと言うと、早々に洗面所へと逃げていたらしい。
「……私、こんな顔嫌いよ」
刹那の静寂の後に深いため息をつき、それから冗長なほどの間を置いてから――荻乃は呟く。
龍平の「美人」という発言は決して彼女を貶める類のものでは無かったはずだが、口調はどこか自嘲めいていた。付け加えれば、少なくとも確実に嬉しくは無さそうな表情で。
「百害あって一利無し、ね。残念だけど」
肩に流れた長い髪を一房掬って、ふうと吐かれるのは重い息。本人が先だって拒絶した匂い立つような美貌に、総司は眩暈を起こしそうになる。
のめり込んだら戻れない 、危険な魅力がそこにはあった。
もちろん、本当の彼女の姿は知っている。荻乃の心中には、媚びるような仕草も無ければ人を弄ぶような魂胆も無い。いつも周囲を慈しみ、愛し、優しく接する清廉な娘だ。そんな外見と中身の矛盾もまた、総司を強く惹き付ける。
「荻乃さん……?」
透子は一人腰を上げ、俯いた荻乃の隣へと移動し様子を窺う。総司は見惚れており、龍平は黙っており、陽介は酒を手にしているだけだ。単に異性が絡みにくい話というだけに留まらず、男が易々と介入出来るような雰囲気も無かった。ここは透子に任せるのが妥当だ。
「何かあったんですか?」
「……別に……」
「黙っ てちゃわからないです。あたしも……龍平さんや総司さん、陽介さんだってみんな荻乃さんが好きなんです、守りたいんです」
だから話して下さい、と。
幼さの片鱗も見せない、毅然とした口調で断言する。はっきりした声であっても責め立てるようには聞こえないのが、職業の匂いを感じさせて好ましい。
「……ありがとう」
荻乃はのろのろと顔を上げた。酒のせいか内に秘める感情のせいか、その目尻はほのかに赤い。
ややあって――ひどくか細い声で、彼女は尋ねる。
「……『愛人顔』。そう言われたら、透子ちゃんはどう思う?」
「やっと来たか」
「待ってましたよ、皆さん」
椅子の背もたれに左腕を引っ掛け振り返ったのは陽介、くすくすと笑いながらテーブルにコップを並べるのは透子。
六人掛けのテーブルには普段見慣れない料理が並び、空腹には過ぎた贅沢だ。馴染みの店主は奥に引っ込んでいるのか姿が見えない。他に客がいない所を見ると、陽介の「予約」とは貸切のことだったのだろう。
「陽介さんたら、おかしいんです。『皆が来ないなら、二人っきりで飲もうか』とか言うんですよ」
「何ーっ!?」
透子が五個目のコップを置いたと同時に、龍平は総司の脇をすり抜け陽平に詰め寄った。早足で真横から消えた親友に総司が驚いたのも束の間、最後に店へと入った荻乃もまた意味深な笑みを浮かべている。外に騒音が響かないようそっと閉められた扉は、傍観者を決め込んだ彼女に似ているのかもしれない。
「たとえ我らが陽介兄さんとて、抜け駆けは許さないっすからね!」
「それはさておき、遅いぞ龍平」
「……何でそこで俺だけ注意なんすか」
「叱られ役は常にお前だからな。そしてここでは僕がルールだ」
陽介の返してきた言葉は不可解で、明らかに酔っ払いのそれ。彼は商人故にか品物の良し悪しが判断出来る男ではあるが、そこまで酒に強い訳では無い。よって顔は既にほんのりと赤くなり、普段のように筋の通った話も出来ないでいる。
毒見の量を越えた兄貴分のそんな飲みっぷりに、総司はつい吹き出してしまった。
見れば透子も荻乃も口元にたたえた微笑が心なしか震えており、どうにか声を上げるのを抑えている様子。小競り合いをしている当人達がそれを知ったら、さぞかし不満に思うことだろう。
「ルールなんて知りません。俺は飲みたい気分なんですー」
龍平は陽介の右手に収まったおちょこを睨みむくれている。しかし機嫌良く手酌を続ける陽介には、弟分の現在の気持ちがわからないらしい。直球で飲ませろと言っているにもかかわらず、「うんうん、そうか」と気楽な相槌を打つばかりだ。これでは埒が明かない。
「それじゃ、早く乾杯しませんか? あたしも龍平さんに賛成!」
昼間と同様、やんわりと口論を止めたのは透子だった。第三者に言われると双方ははっと我に返り、互いから目を背ける。
「透子ちゃんの言う通りね。陽介君もタツも、お昼に引き続きトラブルメイカーとは頂けないわよ?」
こらえきれなかった笑みを一瞬で苦笑に変え、荻乃は三人に数歩歩み寄った。透子が安堵の表情を見せた所から考えて、仲裁役も一人だけでは不安だったのだと思われる。
荻乃が透子の援護に回れば、さしもの龍平も折れるに違いない。総司には確信があった。
「タツは私の弟だし、透子ちゃんは私の妹みたいなもの。陽介君だって大事な友達よ、だからお酒の席でまで喧嘩しないで」
「オギ姉……」
ばつの悪そうな顔で頬を掻く龍平は、既に血の上った頭が沈静化しているようだ。
「一つだけ訂正してくれ……昼間のアレ、半分は荻乃のせいだろうが」
一方の陽介も酔いが回る身体に力を入れ、文句を言いながら立ち上がる。次いでおちょこを名残惜しそうにテーブルへと置き、「透子ちゃんには迷惑掛け通しだな」と謝りつつ肩を竦めた。
場が落ち着いたのを見計らって、総司は女性陣より前に出る。便乗と言われようが何だろうが、飲んだくれの兄貴分と親友を一緒に相手に出来るのは自分だけだ。陽介と龍平の肩を軽く叩いてから、コップを二つ手に取った。
「早速乾杯でいいですよね? な、龍平も」
「……ああ」
「おう!」
店主が厨房から戻ってきた時、五人は揃って鍋を囲んでいた。彼らのことを学舎時代から知っている男は、片目で以ってその平和な光景を見つめる。
顔の左半分には瞼を通って直線が一本。かつての大反乱の時分――総司の父親を筆頭とした革命軍に参加した店主は、そこで妻と左目の視界を失っているのだ。右目の動きに従って傷ついた眼球も微かに動いたものの、瞼が持ち上がることは叶わない。
「よぉガキ共、いつにも増して仲いいな」
程よいアルコールのお陰で意気揚々と鍋をつついていた龍平の背後から、店主はにやりと口角を上げながら声を掛ける。
「もうガキじゃねーって。おっちゃん、笑ってないで酒追加!」
「タツ、その言い方が子どもじみてるのよ」
荻乃はコップを掲げたしなめるように言ったが、赤くなった目尻のせいで迫力には欠けている。否、総司にはむしろその姿が色っぽく思えてならない。
あまりじろじろ眺める訳にもいかず、麦酒をあおる。馴染みの薄い酒は苦く、酩酊するには少々弱かった。
かたや先程の続きとばかりに、清酒をちびりちびりと飲んでいるのは陽介だ。しばらくはあっさりと和解した龍平と酒を注ぎ合っていたけれども、今の龍平は酒よりも料理に夢中らしい。そこまで兵士達の集まる隊舎の食事に飽いていたのだろうか。
少しばかり陽介の顔は寂しそうである。自分が代わりに付き合ったほうが良いのかもしれない。
「総司さん、大丈夫ですか? ……もしかして、気持ち悪いんですか?」
一人素面のまま問うてきた透子の声に、総司は振り向く。不安げに揺れる瞳は、明らかに己を心配してくれている。
教師という堅苦しい職業のためであろうか、彼女は勧められても飲酒をしない。五人の中で最も若いとは言え飲めない年齢でもあるまいに、頑なに拒否するのである。以前四人がかりで問い詰めた時には「余計なことを喋っちゃうかもしれないから」と言っていたのだが、そこまで守秘義務を重視する必要はあるのか否か。労働者にはしっくり来ない。
総司は年下の少女の優しさを受け入れ、ぎこちなくも笑った。
「いや、平気だ。透子も悪いな、俺達ばっかり飲んでて」
「気にしないで下さい。あたしはここにいるだけで幸せですから」
「幸せ?」
どういう意味なのだろうと考え込むと、突然透子が茹蛸のように真っ赤になった。彼女らしくも無くわたわたと慌てたかと思えば、両の掌で総司の顔を眼前から押し退けようとする。
「違います、別にそういう意味じゃ無いです! ええと、その、……ほら、飲みましょう?」
せわしなく動いていた手はいつしか麦酒の瓶を持っており、まだ半分も飲み干していない総司のコップに黄色い液体を更に注ぐ。
こちらとしては地雷は踏んでいないはずだが、何があったのか。深酔いを尋ねたと思ったら今度は逆のことをしてくる透子には、本音では驚きを隠せない。
「……ああ、ありがとう」
しかし必死な姿がどこか可愛らしかったため、総司も乗せられた振りをすることにした。
鍋が雑炊へと変わる頃には、店主も若者にすっかりまじって酒を飲んでいた。傷に障るのではないかとも思ったが、本人に問題が無ければ構うまい。
「総司君も透子ちゃんも、食器貸して。タツが食べ終わっちゃう」
「あ、はい」
「あたしも手伝います」
世間話に花を咲かせていた総司と透子は、荻乃に促され動き出す。立ち上がると、陽介が葡萄酒に手を伸ばしている様子も龍平が義姉からお玉を奪い取られてしょんぼりしている様子もよく見えた。
締めの料理を取り分ける彼女を、軽く冷やかしたのは店主。
「荻乃ちゃんなんてもう、すっかり別嬪さんになっちまって……いい人はいるのか?」
「セクハラ!」
荻乃は雑炊を盛った食器を透子へ渡してから、そっぽを向いて柳眉をひそめる。龍平はその異変を敏感に感じ取り、料理を口に運ぶ手を止めて店主に言い返した。
「おっちゃーん、オギ姉に手を出す気なら俺を倒してからにしろよ?」
「シスコンのガキは黙ってろ」
「って、ガキじゃねーって言ってるじゃんか!!」
売り言葉に買い言葉でも、口論は年の功で店主が圧倒的に勝っている。そもそも、力押しで生きている龍平が誰かと机上で張り合えるとはとても思えないが。
陽介はニヤリと笑みを形作って冷やかした。
「熱いな青少年。お前がそんな奴じゃ、荻乃だっていつまでも結婚出来ないだろ」
誰よりも長時間アルコールを摂取し続け、着物の裾から伸びた足をぶらぶらと揺らす男。行動は退行し血液の半分がすっかり酒になっているような状態でも、屁理屈に関しては『毒見』の時よりも冴えてきている。龍平は返事に窮したようで、雑炊を自身の口内に豪快に流し込んだ。
親友が火傷をしていないよう内心願いつつ、総司も兄貴分に倣って言ってやる。
「そうだぞ。いい加減義姉離れするんだな」
「ちょっと……総司さんまで」
呆れ声を上げたのは透子である。男性陣のふざけ半分の言い合いに毎回振り回されている彼女には、耐え難いものがあったのかもしれない。
「荻乃さん、いいんですか? 皆さんったら好き放題……」
「でもオギ姉はすっげー美人じゃん。でしょ、透子ちゃん?」
龍平はその正論を、空気も読まずに遮ってしまう。総司と陽介がやりすぎたか、と後悔する頃には、いささか困惑気味の荻乃と怒るタイミングを逃した透子がそこにいた。火種となった店主はと言うと、早々に洗面所へと逃げていたらしい。
「……私、こんな顔嫌いよ」
刹那の静寂の後に深いため息をつき、それから冗長なほどの間を置いてから――荻乃は呟く。
龍平の「美人」という発言は決して彼女を貶める類のものでは無かったはずだが、口調はどこか自嘲めいていた。付け加えれば、少なくとも確実に嬉しくは無さそうな表情で。
「百害あって一利無し、ね。残念だけど」
肩に流れた長い髪を一房掬って、ふうと吐かれるのは重い息。本人が先だって拒絶した匂い立つような美貌に、総司は眩暈を起こしそうになる。
もちろん、本当の彼女の姿は知っている。荻乃の心中には、媚びるような仕草も無ければ人を弄ぶような魂胆も無い。いつも周囲を慈しみ、愛し、優しく接する清廉な娘だ。そんな外見と中身の矛盾もまた、総司を強く惹き付ける。
「荻乃さん……?」
透子は一人腰を上げ、俯いた荻乃の隣へと移動し様子を窺う。総司は見惚れており、龍平は黙っており、陽介は酒を手にしているだけだ。単に異性が絡みにくい話というだけに留まらず、男が易々と介入出来るような雰囲気も無かった。ここは透子に任せるのが妥当だ。
「何かあったんですか?」
「……別に……」
「黙っ てちゃわからないです。あたしも……龍平さんや総司さん、陽介さんだってみんな荻乃さんが好きなんです、守りたいんです」
だから話して下さい、と。
幼さの片鱗も見せない、毅然とした口調で断言する。はっきりした声であっても責め立てるようには聞こえないのが、職業の匂いを感じさせて好ましい。
「……ありがとう」
荻乃はのろのろと顔を上げた。酒のせいか内に秘める感情のせいか、その目尻はほのかに赤い。
ややあって――ひどくか細い声で、彼女は尋ねる。
「……『愛人顔』。そう言われたら、透子ちゃんはどう思う?」