鳴らない電話


 ――――ピッ。
 あたしは、すぐに電話を切った。……嘘だと、夢だと思いたかったから。
『あっ、待って! まだ話は終わって――』
 母さんのお小言なんて要らない。
 事実だけで、十分だもの。

 携帯をベッドに投げ捨てて、唇を噛み締める。



 すてきなであいがありました。
 すてきなひとにあいました。
 すてきなつきあいをはじめました。
 すてきないえはかりました。
 すてきなけっこんもきまりました。

 そして、さっき。

 その素敵な人は、行方知れずになったのです。
 うちの家族に「結婚は取り止めます」とだけ告げて。
 話すべき当の本人の……恋人のあたしには、何も告げないで。



 雲隠れ? ふざけないでよ。
「一方的に強制離別された」って事実以上に、「話してくれなかった」ってコトが許せなかった。
 一昨日も電話したのに。
 いつもと変わらず、からから笑ってたのに。

 誰か説明して。
 誰でもいいから。





 苛立つ気持ちはそのまま、あたしの足をダイニングに向かわせる。
 冷蔵庫に可愛いマグネットで貼られたレシピが目に入って、息が止まる前にすぐさま剥がす。
「金目鯛の煮付け」
 アイツのためのレシピ。
 どうしても覚えられないから、早く覚えるつもりでこうして貼っておいた。

 コロン。
 メモより一足早く床に落ちたマグネットは、乾いた現実の音を立てた。



 小さなドアの先にお目当てのものは入っていない。
 アルコール類は、結婚式まで控えるつもりだった。つまりは軽い禁酒令。
 だけど、その重大な予定が潰れさえすれば関係無い。チューハイを飲みたくなったのは、そういう気分になったせい。
 自分に納得させるように頷き、あたしはアパートから飛び出した。

 外は晴天。式を挙げるには持って来いの日だろうと思う。
 ついでにアイツに「捨てられた」あたしを笑っているように思う。

 違う、と強く否定して意思を保つ――「捨てられた」んじゃなくて、「通じ合えなかった」んだもの。
 すれ違う大家さんに精一杯の笑顔を向けて、せめてもの抵抗。
 日曜日の午後、降ってきた失恋の苦さは「青天の霹靂」って言うんだろうか。

 コンビ二に着くや否や、好きな種類のチューハイを手当たり次第にカゴに投げ込む。ガランガランと音を立てる缶に驚いたのか、立ち読みをしていた中学生の男の子達が振り返る。
「こんな大人になっちゃダメだからね」という含みで口角を上げると、気まずそうに目を逸らされた。

 新発売のフレーバーも幾つか買う。おつまみは食べ過ぎると太るから、ほんの少しだけ。
 結構な額になったけど、構いやしない。
 皆に見られているような違和感を拭えないまま、家路に。



 アイツは、お酒がダメだった。
 ひどいヘビースモーカーなくせして、一滴も飲めない下戸だった。
 お陰で、あたしの部屋にはいつも漂うのは煙のニオイ。それが嫌で仕方が無かったから、微香性のクリアミストが欠かせなかった。

 禁煙を迫る文句も、アイツには届かない。
『ごめんな』
 その一言と、苦笑気味の笑顔で片付けられる。
 ほだされてしまうのはあたしが甘いから――――だけど、ねぇ……今回も、そうなの?
 二人で過ごした時間って、「止める」の一言で片付けられるようなものだったの?





 帰るなり暖房を入れ、買ってきたものをテーブルに広げ、最後にプルタブを開ける。
 まずはブルーベリーのチューハイから。
 グイっと一気に飲めば冷たい液体が喉に潤いを与える。数週間ぶりのアルコールに反応して、頬がかあっと赤くなった。
 美味しいのに、どこか焼け付くように痛い味。
 味について痛い……とは言わないか。
 不味い? 苦い? 酸っぱい? 辛い?
 どれも違う。明らかに変だけど、これは「痛い」に他ならない。

 あたしの失恋の味は、痛いんだ。

 テレビでは、いつもと同じような映像がが流れてる。ありきたりなクイズ番組。
 同じような司会者に同じような回答者、中身の問題まで同じようなものだ。
 面白くも無い芸人やタレントが、一日に何度もブラウン管に現れてる。そんなに業界は人手不足なのかな?
 でも彼らのリアクションはいちいち煩くて、あたしの神経を逆撫でする。

 チャンネルを変え、ついでに新しい缶も開ける。二本目はカシスオレンジ。
 次に映ったのはトレンディドラマの再放送。
 12週に渡って波風を乗り越えた恋が見事成就して、ヒロインは感動の涙を流す。そのまま彼女を優しく抱き締める相手役――が、一瞬アイツに見えた気がして。
 無性に腹が立って、二人の影が一つになる前にテレビを消した。

 何も見るべきじゃ無い。何の音もいらない。
 ソファに座り直して手にしてたリモコンを放り投げると、異様な静けさが広がる部屋。



 この部屋の契約、まだ切って無くて本当に良かった。
 弟が上京して使うかもしれない、と大家さんに話したら「まだ待てるよ」って言ってくれて。
 こんな形で「良かった」なんてね……実際、地の底にいるくらいにサイアクなのに。

 僅かに手を伸ばして、近くで転がってたテディベアを抱き締める。去年アイツからプレゼントされたものっていうのは許せないけど、他には手近にいいものが無い。
 ぎゅっ。
 柔らかい――でも、頬に当てれば芯の冷たいぬいぐるみ。
 アイツの煙草がふと香る。

 当たり前のコトってわかってるはずが、苦しくなって。暖房が十分すぎるほど効いてるはずの部屋で、あたしは急に身を震わせた。



 何で寒いの?
 何でぬいぐるみは冷たいの?





 エアコンの設定温度を2℃上げた。……今夜は、こんなに冷え込む夜になるはずだったろうか。
 余計な意識が溢れ出してくる前に立ち上がって、部屋中に沢山の「お気に入り」を散りばめる。
 ふわふわのルームウェア、軽快な洋楽、甘いチョコレート、ほのかな灯り、癒しのアロマポット。どれもあたしが大好きな、幸せをもたらしてくれるもの。
 それから三本目、ライチのチューハイを用意して一息吐く。



 これで大丈夫?
 あたしは大丈夫?










 ううん。
 ……………………ダメ、全然ダメなの。



 膝にあったブランケットを、肩近くまで引き上げる。
 その間もぬいぐるみは手放せずにいたけど、煙のニオイはアロマに慣れた嗅覚から消えつつある。

 アイツの残り香が、無くなっていく。

 寒い。冷たい。悲しい。切ない。



 考えたくない。考えたくない。
 絶対に考えたくないのに、それでも考えてしまうのは――――





 もう、限界だった。
 理由なんて承知済み。

 アイツがいないから。
 アイツの温もりが無いから。
 それが全部の原因。



 責任取ってよ。どうにかしてよ。

 あたしの心にあるのは、怒りじゃなくて淋しさなんだから。





 腕の中には、穏やかな表情をしたテディベア。
 あたしはそれを強く強く抱き締めて、消えたアイツのコトを想った。










 ベッドの上の携帯は、もう鳴らない。

 きっと、ずっと、いつまでも。



 わかっていても。

 アイツの残した「世界」が、自分の前から完全に消えるまで。

 何秒・何分・何時間。何日・何ヶ月・何年と。

 あたしは、待ってしまうんだろうか。





 アイツが掛けてきた時にしか流れない着メロが、その耳にもう一度聴こえてくるのを願って。





>>>「鳴らない電話」あとがき



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2006.12.22  藍咲万寿