世界で一番大きな絵
※突発企画「30分小説企画(テーマ:色)」参加作品※
『世界で一番大きな絵、ご覧になれます』
バザールを歩く少女の足を引きとめたのは、そんな看板の立てられた古いテントであった。他の出店や何かは皆揃って色とりどりの布で自身の陣地を囲っていると言うのに、そこだけは薄暗くじめじめとしている。
明らかな違和感があるが、誰も気付かない。
周囲を窺ってみても、そのテントに目を向けているのは彼女だけだ。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
肩を叩かれ振り返ると、そこには真っ赤な出で立ちの青年が立つ。
身を包むシャツも髪を覆うバンダナも赤いせいだろう、容貌よりも先に「色」が強い印象になる。
「貴方は、ここのテントの?」
「ああ。じーちゃんの手伝いで、ちょっとな」
先程出てきたばかりと思しき彼はがりがりと頭を掻いて笑う。バンダナがずれて片目に掛かり、それが妙におかしい。
「ま……笑ってないで、入るなら入れよ」
たまらず吹き出してしまった彼女を、青年は肩をすくめてから手招きする。
「え?」
「じーちゃんが待ってる。……ラッキーだなお嬢ちゃん、今日は大盤振る舞いなんだぜ」
「……って、手! 何で掴んでるんですかっ」
彼女が気付いた時には、青年はその腕をぐいぐいと引っ張っていた。異性に躊躇無く触れられたことで相手が動揺しているうちに、有無を言わさず帳の奥へと連れ込んでしまう。
私、どうなっちゃうのかしら。
もはやパンク寸前の思考回路と、少女は懸命に闘う。青年の手首には赤いリストバンドがあり、それもまたひどく眩しかった。
「……いらっしゃい」
「は、はぁ」
連れ込まれたテントの中には、二、三の灯りが広がっている。
そして座らされた席の真正面にいるでっぷりとした身体を薄汚れた外套で包んだ老人は、これと言って外見の特徴が無い。孫だという青年の「赤」のような派手さも無く、無色透明なイメージが浮かぶ人物だ。
「じーちゃん、久々の客だよ」
「ほほう……いやはや、本当に久しぶりだの。最近の若者にしちゃ殊勝な心掛けじゃろうて」
「えっと、その、何がです?」
少女は訳もわからず、微笑した老人に訊き返す。
「私、『世界で一番大きな絵』の意味もわからないで来たんです。……って言うか、この人に連れ込まれたんですけど。一体どういうことですか?」
「まぁ、静かにせんか」
詰問を飄々と受け流し、無色の老人が肩をすくめる。赤い青年が見せたそれとよく似た仕草は無性にこちらを脱力させる。
やがて諦めた表情で、椅子に座り直す彼女。
「……はい」
横目で拉致まがいのことを仕出かした青年を睨み付ける。もっとも、彼は傍らで満面の笑みを浮かべているだけだったのだが。
老人はおもむろに筆を取った。いつの間に用意したのか、白いキャンバスがその膝の上にある。
「この世の全てはキャンバスだ。巡るも色、巡らぬも色でな」
軽快に言って、今度はパレットの上で筆先を動かし始める。だが不思議なことに、彼女には色と色を組み合わせて新しい色を練っている「振り」をしているようにしか見えない。
――ただの、ジェスチュアにしか。
どうしたのかと見守れば、鼻歌混じりにキャンバス上で筆を運び始める老人。それも少女の目には「振り」としてのみ映る。
「やだな、おじいさん……何も塗ってませんよ、まだ」
「いんや。塗っておるじゃろう、よく見んか」
暗に「馬鹿にしないで」と言っても、無色の画家には通じない。
「それよりお嬢ちゃん、じーちゃんの歌を聴いてみて」
青年は相変わらず笑ったまま、自分の耳を指差した。
「綺麗に積まれた石の城 見惚れて見上げ 見つめても
ずれて揺らいだ所から 次々崩れて瓦解する
一つ 二つ 三つ 四つ 壊れる早さは矢の如し
遥か昔に見た風景 既視感覚え立ち止まる
いつかの後悔心中に 次第に薄れて瓦解する
一つ 二つ 三つ 四つ 消えゆく早さは矢の如し
幾度も起こる 過ちを ひたすら自ら見届けよ
かくて歴史は繰り返される」
「……歌……歴史? 何ですか、あれ?」
少女が聞き取ったのは、その辺りだった。
「ああ。じーちゃんのキャンバスがでかい理由、わかっただろ?」
青年はバンダナを解いて、にこにこと祖父を見つめている。
「じーちゃんは色に託して、世界を見てるんだ」
「世界を?」
「キャンバスは地上、筆は歴史。……ただそこを、じーちゃんは追ってるだけだからな」
世界で一番大きな絵とは、この世界そのもの。
「……え?」
彼女が次に瞬いた時――二人は既に、テントもろともバザールから姿を消していた。
バザールを歩く少女の足を引きとめたのは、そんな看板の立てられた古いテントであった。他の出店や何かは皆揃って色とりどりの布で自身の陣地を囲っていると言うのに、そこだけは薄暗くじめじめとしている。
明らかな違和感があるが、誰も気付かない。
周囲を窺ってみても、そのテントに目を向けているのは彼女だけだ。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん」
肩を叩かれ振り返ると、そこには真っ赤な出で立ちの青年が立つ。
身を包むシャツも髪を覆うバンダナも赤いせいだろう、容貌よりも先に「色」が強い印象になる。
「貴方は、ここのテントの?」
「ああ。じーちゃんの手伝いで、ちょっとな」
先程出てきたばかりと思しき彼はがりがりと頭を掻いて笑う。バンダナがずれて片目に掛かり、それが妙におかしい。
「ま……笑ってないで、入るなら入れよ」
たまらず吹き出してしまった彼女を、青年は肩をすくめてから手招きする。
「え?」
「じーちゃんが待ってる。……ラッキーだなお嬢ちゃん、今日は大盤振る舞いなんだぜ」
「……って、手! 何で掴んでるんですかっ」
彼女が気付いた時には、青年はその腕をぐいぐいと引っ張っていた。異性に躊躇無く触れられたことで相手が動揺しているうちに、有無を言わさず帳の奥へと連れ込んでしまう。
私、どうなっちゃうのかしら。
もはやパンク寸前の思考回路と、少女は懸命に闘う。青年の手首には赤いリストバンドがあり、それもまたひどく眩しかった。
「……いらっしゃい」
「は、はぁ」
連れ込まれたテントの中には、二、三の灯りが広がっている。
そして座らされた席の真正面にいるでっぷりとした身体を薄汚れた外套で包んだ老人は、これと言って外見の特徴が無い。孫だという青年の「赤」のような派手さも無く、無色透明なイメージが浮かぶ人物だ。
「じーちゃん、久々の客だよ」
「ほほう……いやはや、本当に久しぶりだの。最近の若者にしちゃ殊勝な心掛けじゃろうて」
「えっと、その、何がです?」
少女は訳もわからず、微笑した老人に訊き返す。
「私、『世界で一番大きな絵』の意味もわからないで来たんです。……って言うか、この人に連れ込まれたんですけど。一体どういうことですか?」
「まぁ、静かにせんか」
詰問を飄々と受け流し、無色の老人が肩をすくめる。赤い青年が見せたそれとよく似た仕草は無性にこちらを脱力させる。
やがて諦めた表情で、椅子に座り直す彼女。
「……はい」
横目で拉致まがいのことを仕出かした青年を睨み付ける。もっとも、彼は傍らで満面の笑みを浮かべているだけだったのだが。
老人はおもむろに筆を取った。いつの間に用意したのか、白いキャンバスがその膝の上にある。
「この世の全てはキャンバスだ。巡るも色、巡らぬも色でな」
軽快に言って、今度はパレットの上で筆先を動かし始める。だが不思議なことに、彼女には色と色を組み合わせて新しい色を練っている「振り」をしているようにしか見えない。
――ただの、ジェスチュアにしか。
どうしたのかと見守れば、鼻歌混じりにキャンバス上で筆を運び始める老人。それも少女の目には「振り」としてのみ映る。
「やだな、おじいさん……何も塗ってませんよ、まだ」
「いんや。塗っておるじゃろう、よく見んか」
暗に「馬鹿にしないで」と言っても、無色の画家には通じない。
「それよりお嬢ちゃん、じーちゃんの歌を聴いてみて」
青年は相変わらず笑ったまま、自分の耳を指差した。
「綺麗に積まれた石の城 見惚れて見上げ 見つめても
ずれて揺らいだ所から 次々崩れて瓦解する
一つ 二つ 三つ 四つ 壊れる早さは矢の如し
遥か昔に見た風景 既視感覚え立ち止まる
いつかの後悔心中に 次第に薄れて瓦解する
一つ 二つ 三つ 四つ 消えゆく早さは矢の如し
幾度も起こる 過ちを ひたすら自ら見届けよ
かくて歴史は繰り返される」
「……歌……歴史? 何ですか、あれ?」
少女が聞き取ったのは、その辺りだった。
「ああ。じーちゃんのキャンバスがでかい理由、わかっただろ?」
青年はバンダナを解いて、にこにこと祖父を見つめている。
「じーちゃんは色に託して、世界を見てるんだ」
「世界を?」
「キャンバスは地上、筆は歴史。……ただそこを、じーちゃんは追ってるだけだからな」
世界で一番大きな絵とは、この世界そのもの。
「……え?」
彼女が次に瞬いた時――二人は既に、テントもろともバザールから姿を消していた。