血塗れの薔薇
※突発企画「30分小説企画(テーマ:目的)」参加作品※


 彼女は今日もそこへ呼ばれる。
 想像するだけで不快だったが、だからと言って応じない訳にはいかない。
 目的のためには、誇りなど捨ててしまえば良いのだ。

 しかし、今夜の依頼人は優しい男だ。自分に「それ」を命じるのは来訪数回につき一度、後は他愛の無い会話を交わす程度で去って行く。
 馴染みであるにもかかわらず、彼女を常に労わってくれる。
 理由としては、以前他の依頼人に失敗の代償として傷付けられた手足を見られてしまったせいもある――あからさまに目立つ怪我は、彼を戸惑わせるに足るものであったらしい。
 今でも残る、醜い傷痕。
『……すまない』
 謝ることでも無いのに、それを目にした男は幾度も謝った。
 そして以降は無闇な依頼を持ち込まぬよう、依頼人らしからぬ気を遣うようになったのだ。



「……オーナー、お仕事を下さりありがとうございます」
「気にすんな。俺はあんたが好きで、むしろ逢いに来てるんだからな」
「ご冗談を」
「拗ねるなよ、『マルスの薔薇』! 好きな女には笑って欲しいんだ……たとえ、こんな仕事でも」
 暗闇に相応しくない快活なこの男を、彼女は「オーナー」とだけ呼んでいた。
 何度名前を教えられても、覚えることが出来ないのだ。
 本人曰く成り上がりの裏稼業で、当初は付き合いきれない関係者・口の軽い部下を問題無く片付けるために「そこ」へと足を踏み入れたのだという。ただし血生臭いことそのものよりもスリルを求めているようで、彼女との駆け引きもまた「争いごとより好きなんだ」などと言ってのける。
 なるべく負担を掛けないよう大切にされるのは、彼女にとって嬉しくも動揺することだ。
「……好き、だなんて。あたしのようなあばずれに言うべきことじゃありませんよ」
「まだ信じられねぇのか? ほら、また俺を名前で呼んでくれないし」
 うなだれたオーナーはひどく淋しそうだった。

「オーナー」
「これも、俺にあんたを『ここ』から救えるだけの財と立場が無いからだ。結局は俺も、『マルスの薔薇』が仕事をする姿を愉しむ連中と同じさ」
「……オーナー……」
「でも」
 男は不意に呟いたかと思うと、逞しい腕を彼女へと伸ばす。
「でも……でも、俺は……あんたを……」
 怖いほどに真っすぐな瞳。見惚れていると身体を包み込むようにぎゅっと抱き締められて、魂まで連れて行かれそうになる。
 両手が知らないうちに彼の背中へと導かれて――辿り着く前に、止まる。










(何を、愚かな)
 殺し屋が。
 否、『殺人鬼』が。



『マルスの薔薇』。
 裏社会の紅一点。
 銃火器を自在に操る悪魔。
 表の世界では生きられず、「そこ」……廃ビルの一角で、依頼を受け正確にこなすことしか出来ない女。

(愛情の存在など、許されてはならないのに――)










「……っ、いけません!!」
 思わず流されそうになったものの、寸前で踏み止まった彼女はオーナーの胸を勢いよく押しのけた。
「!? ……どうしてだよ、『マルスの薔薇』!?」
「貴方を慕っていない、とは申しません。むしろ感謝の言葉も尽きぬ程です。ですが……」

 信じるな。
 たとえ馴染みの依頼人でも。
 信じるな。
 たとえ「好きだ」と囁かれても。



「あたしは、汚れ過ぎました」
 その拒絶だけが、『マルスの薔薇』を一介の女に戻さない唯一の方法。

 血と硝煙の臭いから、逃げないための。





>>>「血塗れの薔薇」あとがき+α



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2007.5.26  藍咲万寿
(2007.6.29  再録)