Morning×3


 まるで、仮初の夢のような朝だと――思うんだ。
 恥ずかしいし下らないことだから、絶対に面と向かっては言えないけど。





「おーす」
 平穏な朝のキッチンに現れた、髪も服装もだらけた男。寝て起きてそのまま来たことが見え見えな気の抜けた挨拶は、僕の神経を逆撫でしてなお余りある。
「おはよう圭(けい)、飯食いに来たぞー」
 顔はいいんだ、顔は。駄目なのはそれ以外の全て。
 学校で女の子が雑誌を囲みつつ「この人いいよね」「素敵ー」と騒いでいることがあるが、美形なら何をやっても構わないとか思ってはいけない。彼らだって見えない所で彼女達の想像がぶち壊れるようなことをしているはずだ。きっと、多分。
 第一カッコいいか悪いか、なんてパーツの組み合わせが少々違うだけだ。お正月の福笑いを見ればわかる通り、僅かな配置の差で爆笑・苦笑が決まることもある。絶妙のバランスがそうそう存在するようなら、この世にイケメンなんて存在しない。むしろ性格を見ようよ諸君。
 女の子っていうのは、自分を棚上げして選り好みし過ぎる。
 もっとも、これは凡人の戯言。

 こんな風にちょくちょく我が家に現れる人間は、伸びをしながら僕に近付いてくる。
 手の中で小刻みに震える包丁。これは武器、いざとなったらホラー映画も真っ青な惨状の原因ともなり得る凶器だ。今の状態で背後を取られたら、うっかり振り回してしまいそうで怖い。
 馬鹿のために人生を棒に振るのはあまりに勿体無いという本音もある。
 だから平静を装って、僕は一息に尋ねた。
「……今度は何ですか、ウザくてしつこくて喧しい敬(たかし)オニーチャン?」
「む、失礼な。オレが来ちゃマズかった?」
 首を動かし男と視線を合わせると、今にもしゃがみ込んで床に「の」の字を書き始めそうな顔つきをしている。名前は「敬う」でも、こんなヤワな年上を敬いたくは無い。
「ああ、マズかったよ! めっちゃくちゃマズかったよ!!」
「歯に衣着せぬ言い草だな、弟よ」
 ――敬う価値無し。頼まれても敬う価値はゼロだ。たとえこの男が世間的には僕の兄であろうとも、それだけは譲れないと僕は心に固く誓った。



 まぁ、つまりはこれが僕の兄貴。たとえ訳アリな人であろうとも、弟としてはどうにかしなくてはいけない。
 ……正直、心底面倒臭いんだけど。
 だって、つい数日前まで「隣に住んでる変な兄ちゃん」って認識しか無かったんだよ?
 四月に引っ越してきた僕達に挨拶をしに来て、開口一番「これからずっと、よろしくな」とか何とか言っていて。たかがお隣さんのくせに、「ずっと」なんて言うのは何故だろうとは気になっていた。その後のあれこれで、しばらく忘れてしまっていたけれど。
 だからと言って、それから二ヶ月も経ってから変なことを言わないで欲しい。
『オレ、実はお前の生き別れの兄貴なんだよねー』
 天気の話よりも軽く言われて、誰が信じようか。が、兄貴と名乗る人物を引き摺って市役所に出向き(その日のうちに行ってきた。我ながら行動が早い)調べてしまえば、さすがに信じざるを得なかった。
 戸籍によると、母親は同じで父親が違うらしい。

 いつもフラフラしてて、一体どこで働いてるんだか。
 ホストなんじゃないかって気もするけど、唯我独尊に天然ボケが付いてきたような性格じゃ……あんな究極のサービス業(夕方のテレビで言っていた)で順調に働けるとは到底思えない。
 キャベツを思い切りざっくり切りながら、ため息一つ。最近は野菜が高騰して困っているのに、エンゲル係数が上がるのは耐え難い。しかもこの人、家事手伝いとしても使えない。そもそも人の家でご飯を食べるなら、生活費くらい入れて欲しい。布団を叩けば埃が出るのと同じく、考えれば考えるほど兄貴の駄目さ加減に腹が立ってくる。
 ざく、ざく、ざく、ざく。キャベツは見る見るうちに細切れだ。
 ああもう、ムカつくムカつくムカつく!!



「おっ、今日の朝飯はロールキャベツ? 平日の朝から豪勢だなぁ」
 こちらのイライラには露ほども気付かず、兄貴は料理を邪魔するかの如く手元を覗き込んでくる。腕に自信はあっても、まじまじと見られるのは好きじゃない。
 無残に切り刻まれた葉の欠片を集めて僕は答える。
「残念でした、これはお味噌汁に入れるんだよ。ロールキャベツは明日の夕飯にする予定」
「何、味噌汁にキャベツだと!? そりゃあ邪道だろ邪道」
「なら食うな」
 あるいは来るな。未来永劫。
「えーっ」
 ところが嫌味たっぷりに言ったはずの言葉も念を込めた内心の声も兄貴には届かず、返ってきたのは子どもみたいなブーイング。僕という料理上手に作って貰えるだけで(しかもただ飯にありつけるだけ)ありがたいんだ、好き嫌いを言われる筋合いは無い。ついでに言えば、味噌汁にキャベツは邪道でも何でも無い。芯近くまで程よくとろけると、そりゃあ甘くて美味しいんだからな。
 一番好きなのはブリ大根だけど、そう言えばまだあれはマスターしてなかったっけ……脳内で今後の課題メニューを考えつつも、眼前の男にはやはり突っ込んでおかねば。
「『えーっ』じゃない、駄々こねるな!!」

 家族が少ないよりは多いほうがいいだろう、とか。
 今更になって兄貴なんて寄越して、どうして僕達をゆっくりさせてくれないんだよ母さん。義兄なんて別に欲しくなかったよ母さん。
 これほどややこしい原因を作ったのは、僕達の母親。衝撃の真実を聞いて即日電話で尋問すると、前の旦那さん(この人が兄貴の父親にあたる。僕には顔も名前もわからない)に引き取られた兄貴とは、離婚後も連絡を取り合っていたらしい。要するに、僕達が引っ越してくる場所も母さんを通じて最初から全部わかっていたということになる。
『まぁ、兄弟仲良くね』
 受話器の向こうで笑んでいるであろう母さんの声は、今もまだ耳に残っている。あの人にとっては生き別れの兄弟の再会は嬉しいものなのか。そうなのか母さん。だから引っ越す時にも文句一つ言わずに僕達を出してくれたのか母さん。
 こんなでっかい子ども、僕には到底預かれないよ。
 半同居生活が聞いて呆れる。これじゃあまるで、兄貴を世話するために越してきたみたいじゃないか。憧れの高校生活も、日々の生活を思えば涙で霞んでしまう。

 しかも。



「おはよー……」
 不意に廊下から顔を覗かせたのは、本来の同居人。先程までの「僕達」というカテゴリに入る、もう一人のきょうだい。
「おはよう姉貴。ご飯、もうすぐ出来るから」
「ん……ありがと」
 目を擦って、肩に引っ掛けていたタオルを頬に当てる。まだ化粧もシャワーも済ませていないものの、見慣れた顔の造形はそう悪くない。スッピンで通勤したほうがいいんじゃないかと言ったら見事に怒られたが、それはそれ。完全武装(という名のフルメイク)をした様は怖すぎて、会社の人も近づけないんじゃないかと思うんだけど。
 この人が恵(めぐみ)。僕の姉貴で、引っ越しのきっかけとなった人。
 元々第一志望の高校に受かった時、「それなら一緒に住みましょ」と言ってくれたのはちょうど異動が決まっていた姉貴のほうからだった。自宅から片道二時間の道のりを覚悟していた僕には、その誘いが天使のささやきのようにも思えたものだ。選んだ部屋は僕の高校まで自転車で三十分、姉貴の会社まで電車で二十分。二人で住んでも狭さを感じない新たな家は、それはそれは素晴らしかったのである。
 兄貴さえ隣に住んでいなければ。
「って、あーっ! 何でコイツが来てんのよ、圭っ!?」
「コイツって誰?」
「アンタ以外に誰がいるっていうの!? 出てって、邪魔よ、迷惑よー!」
 すっとぼけた兄貴にまともに怒鳴り返した姉貴の声は、ビリビリとキッチン内を震わせるように響く。ガラス棚の食器が揺れた気がしたのは無視するとして、午前六時半の大絶叫などご近所さんに失礼だ。現在進行形で迷惑なのは貴方ですよオネエサマ。
「姉貴、静かに」
「だ、だって」
 僕の指摘に口を押さえ、黙る姉貴。だがその一瞬の隙を突いて、あの男はまたも唇を開いてしまった。
「おやおや、いつもつれないなぁ……妹よ」
「あ……あっ、アンタの妹になんてなりたくもないわよーー!!」

 姉貴はしっかり者だ。兄貴に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらい、しっかり者だ。まっとうな仕事に就き毎月まっとうに生活費を入れ、大変ながらも日々まっとうに働いている。
 自分でやるのが面倒だと、家事全般を高校生の弟に丸ごと押し付けるのはどうかと思うけれど、それ以外はまっとうな人。
 問題は血の気の多さだ。
 姉貴もまた突然の『兄貴』の登場に戸惑い、反発している。歳が近いせいかその存在を受け入れがたいらしく、熱くなりやすい性格もたたってついこうしてまともに兄貴と張り合ってしまう。僕のように気にしないよう心掛ければいいのに。

 それでも兄貴は軽く笑って「こーら」とその額を小突く。
「折角の可愛い顔が台無しだぞ、恵?」
「黙れっ、この食い扶持減らし! 母さんに言ってすぐにでも追い出してやるんだから!!」
「恵は意地悪だなぁ。圭、お前はこんな子になるんじゃないぞー」
 減らず口なのはお互い様だ。僕はお玉で小鍋をぐるぐるとかき回しながら、背後で繰り広げられる低レベルな喧嘩を聞き流す。その間にも炊飯ジャーからは湯気が立ち上り、レンジの中のお惣菜(昨日の肉じゃがの残りだ)はほっこりと温まる。
「……どうでもいいから、キッチンから出てってよ」
「「え?」」
 え、じゃないよ二人とも。うるさくされたら、落ち着いて準備も出来ないじゃないか。





 兄貴と。
 姉貴と。
 そして僕。

 いつ失われるかはわからないこの生活を、馬鹿馬鹿しいと思いつつも――凄く凄く楽しくて、いとおしいとさえ思う自分がいる。
 そのうち終わる喧騒。そのうち終わる夢。
 今だけは、仮初の夢の中でのんびりとまどろんでも構わないだろう。



「「「……いただきます」」」

 手を合わせた三人の声は、閑静な住宅街にそっと響く。





>>>「Morning×3」あとがき



<<<back  **   Top  **   next>>>

2007.8.25  藍咲万寿