第四章[淀みの繭から破られし]
《8》
柳は攻め込まれないよう、どちらかと言えば「逃げ回って」いた。紙一重の所で氷雨を避けては飛び退き、足首以外は大きな怪我もしていない。巨大な鳥に屈しなかったその足首は、凝視すればやや引き摺るように強制的に動かされているのがわかる。
本来なら術で以って治療出来るのかもしれないが、まず治癒するゆとりが無いのは見ての通りだった。
それでも彼女が決定的な打撃を受けていないのは――相手の飛び掛かってくるタイミングを読んでいるからだ。幻夢は巨大ゆえに行動の振りが大きく、また攻撃の間隔も空きやすい。
目が慣れてくれば、容易とは言えないが回避は不可能では無かった。
しかも正攻法で受けてしまった柳の術のダメージは、怪鳥の動きを鈍らせて止まない。標的を切り裂かんと躍り掛かっては、爪が虚しく宙を掻く。
「氷雨、何をしているんです!? 姫君を早く捕らえなさい!」
柚斗は叫んだ。氷雨の一挙一動が全て見切られていることを認めたくなかったのだ。
己を指揮する少女の癇癪にすら思える声に、氷雨は低く唸る。相変わらず狂化を解かれないまま故に、混乱を余儀なくされているのかもしれない。
「……貴方は、いつも意外ですね。もっと好戦的な方かと思っていましたのに、残念です」
「だっ、てっ! こんなの相手に『力』使い過ぎたって疲れるだけでしょ、っと!!」
ため息交じりの柚斗に、身を翻しながら言い返す柳。余裕を感じさせつつも悲鳴じみているのは、動きながら返事をしているからだ。
「馬鹿にしないで……あたしだって、伊達に繚と肩並べてないんだから!」
髪は身体から一歩遅れてなびくものの、攻撃を掠めはしない。柚斗にはそれが、相手に遊ばれているように思えてならなかった。先程から防御以外、ほとんど術らしい術を使ってきていないせいもある。
何をどうすれば良いのかわからず、少女は氷雨に再び指令を下す。
「約定・『追撃』、演舞せよ!」
よく通るはずの己の声が、喉の渇きで掠れていることさえ気付かぬままに。
基本的に肉弾戦を好む柳は遠距離戦を潔しとせず、また兄のような分析も苦手だ。
いちいち考え込んだ所で、かえって思考が分散して痛い目を見る。その判断はあながち間違いでは無かろう。集中力を欠くことは、常に命取りになり得る。
ただし、彼女が何の祭司かを把握するのは存外に簡単だった。緑の髪をした少年の力に比べて、異形の存在『幻夢』を行使する少女の力は祭司としての種類が限定されるためである。
危険極まりない存在を呼び出す『力』。下手な凶器よりも研ぎ澄まされた、意思ある武器。
それらを背負うのに柚斗にどれだけの負担があるのか、柳は知らない。そもそも、今はその疑問を冷静に追えるような状況では無いのだ。脚の痛みが度を越えるまで、この調子では果たして耐えられるのだろうか。
「氷雨……!」
「『速(ソク)』っ!」
幻夢が加速すれば、柳も走る速度を速めた。
やっと自身の身体能力を高める術を使ってきたかと思ってみても、それが攻撃に転じることはやはり無い。柚斗はそこで考える。
氷雨を振り回して疲労を誘っているのか、あるいは――まさか。
「……時間、稼ぎ……っ!?」
「当然でしょ?」
瞬間、柳はふっと遠くを見た。羽根の辺りから巻き起こった氷の刃が足を傷付けたが、それに耐えながら大声を張り上げる。
「繚、わかったー!?」
その声にぴくりと反応し、振り返るのは兄たる少年。腫れた頬はいたましいものの、ついぞ極馬に堂々と宣言したばかりの彼の表情はいっそ楽しそうにすら思えた。
無言で杖を掴んだ極馬が躍りかかってくるのをいなし、次いで踵を返す。
「くっそ、待てよ……!」
「……『守』!!」
追い縋ろうとした極馬に対しては瞬時に術を発動させ、半透明の壁を身代わりにして更に駆ける。一旦弾かれた杖と自身の身体に極馬は舌打ちをしていたが、その様子を確認するゆとりすら惜しむように繚は向かった。
――自分を呼んだ、片割れの妹の下へ。
「柳、頭下げて! ……『縛』!!」
極馬に行ったものと同じ拘束を氷雨に施し、言われるままに姿勢を低くした柳へと走り寄る繚。遅れて動く右脚を見るなりすぐさま「『癒(ユ)』」と唱え、己の怪我には頓着しない。
「ちょっと、馬鹿! 繚だってボロボロじゃない」
「黙ってて……時間が無い」
「……はいはい」
いつに無く真剣な表情を返されて、柳は術を制しようとしていた手を引っ込めた。
その行き場に困ったかひらひらと振り、ため息をつく。
「もうダメ、交代してくれない? あたし、女の子に手荒な真似はしたくないの」
「……彼の能力がわかった。確かに、あれは君のほうが向いてるね。
頼みたいんだけど……いいかな?」
「言われなくても」
妹が首を縦に振るのと同時に二方向から向けられた殺気に、繚が術の発動を止める。少し周囲に目をやれば桜色の髪の少女が幻夢に更なる指示を出さんとしている姿も、深緑の髪の少年が地を割らんばかりに杖の先端を叩きつけている姿も見えることだろう。
しかし、双子の兄妹は決して屈しない。
橙と青という異なる色の瞳がきらりと交錯するや否や、右手と右手の掌を互いに合わせる。
「「……交代!」」
重なった声は、空高く響く。
傷だらけの繚はもちろん、多少治癒をして貰った柳ですら必ずしも本調子とは言い難い。二人はそれを重々承知の上で、はっきりと頷き合った。
「それじゃ、早速……」
「反撃開始と行こうかしら?」
再び揃った『言葉の兄妹』は、やはり本質的に「同じ」もの。
まだ、諦めるには早すぎる。
本来なら術で以って治療出来るのかもしれないが、まず治癒するゆとりが無いのは見ての通りだった。
それでも彼女が決定的な打撃を受けていないのは――相手の飛び掛かってくるタイミングを読んでいるからだ。幻夢は巨大ゆえに行動の振りが大きく、また攻撃の間隔も空きやすい。
目が慣れてくれば、容易とは言えないが回避は不可能では無かった。
しかも正攻法で受けてしまった柳の術のダメージは、怪鳥の動きを鈍らせて止まない。標的を切り裂かんと躍り掛かっては、爪が虚しく宙を掻く。
「氷雨、何をしているんです!? 姫君を早く捕らえなさい!」
柚斗は叫んだ。氷雨の一挙一動が全て見切られていることを認めたくなかったのだ。
己を指揮する少女の癇癪にすら思える声に、氷雨は低く唸る。相変わらず狂化を解かれないまま故に、混乱を余儀なくされているのかもしれない。
「……貴方は、いつも意外ですね。もっと好戦的な方かと思っていましたのに、残念です」
「だっ、てっ! こんなの相手に『力』使い過ぎたって疲れるだけでしょ、っと!!」
ため息交じりの柚斗に、身を翻しながら言い返す柳。余裕を感じさせつつも悲鳴じみているのは、動きながら返事をしているからだ。
「馬鹿にしないで……あたしだって、伊達に繚と肩並べてないんだから!」
髪は身体から一歩遅れてなびくものの、攻撃を掠めはしない。柚斗にはそれが、相手に遊ばれているように思えてならなかった。先程から防御以外、ほとんど術らしい術を使ってきていないせいもある。
何をどうすれば良いのかわからず、少女は氷雨に再び指令を下す。
「約定・『追撃』、演舞せよ!」
よく通るはずの己の声が、喉の渇きで掠れていることさえ気付かぬままに。
基本的に肉弾戦を好む柳は遠距離戦を潔しとせず、また兄のような分析も苦手だ。
いちいち考え込んだ所で、かえって思考が分散して痛い目を見る。その判断はあながち間違いでは無かろう。集中力を欠くことは、常に命取りになり得る。
ただし、彼女が何の祭司かを把握するのは存外に簡単だった。緑の髪をした少年の力に比べて、異形の存在『幻夢』を行使する少女の力は祭司としての種類が限定されるためである。
危険極まりない存在を呼び出す『力』。下手な凶器よりも研ぎ澄まされた、意思ある武器。
それらを背負うのに柚斗にどれだけの負担があるのか、柳は知らない。そもそも、今はその疑問を冷静に追えるような状況では無いのだ。脚の痛みが度を越えるまで、この調子では果たして耐えられるのだろうか。
「氷雨……!」
「『速(ソク)』っ!」
幻夢が加速すれば、柳も走る速度を速めた。
やっと自身の身体能力を高める術を使ってきたかと思ってみても、それが攻撃に転じることはやはり無い。柚斗はそこで考える。
氷雨を振り回して疲労を誘っているのか、あるいは――まさか。
「……時間、稼ぎ……っ!?」
「当然でしょ?」
瞬間、柳はふっと遠くを見た。羽根の辺りから巻き起こった氷の刃が足を傷付けたが、それに耐えながら大声を張り上げる。
「繚、わかったー!?」
その声にぴくりと反応し、振り返るのは兄たる少年。腫れた頬はいたましいものの、ついぞ極馬に堂々と宣言したばかりの彼の表情はいっそ楽しそうにすら思えた。
無言で杖を掴んだ極馬が躍りかかってくるのをいなし、次いで踵を返す。
「くっそ、待てよ……!」
「……『守』!!」
追い縋ろうとした極馬に対しては瞬時に術を発動させ、半透明の壁を身代わりにして更に駆ける。一旦弾かれた杖と自身の身体に極馬は舌打ちをしていたが、その様子を確認するゆとりすら惜しむように繚は向かった。
――自分を呼んだ、片割れの妹の下へ。
「柳、頭下げて! ……『縛』!!」
極馬に行ったものと同じ拘束を氷雨に施し、言われるままに姿勢を低くした柳へと走り寄る繚。遅れて動く右脚を見るなりすぐさま「『癒(ユ)』」と唱え、己の怪我には頓着しない。
「ちょっと、馬鹿! 繚だってボロボロじゃない」
「黙ってて……時間が無い」
「……はいはい」
いつに無く真剣な表情を返されて、柳は術を制しようとしていた手を引っ込めた。
その行き場に困ったかひらひらと振り、ため息をつく。
「もうダメ、交代してくれない? あたし、女の子に手荒な真似はしたくないの」
「……彼の能力がわかった。確かに、あれは君のほうが向いてるね。
頼みたいんだけど……いいかな?」
「言われなくても」
妹が首を縦に振るのと同時に二方向から向けられた殺気に、繚が術の発動を止める。少し周囲に目をやれば桜色の髪の少女が幻夢に更なる指示を出さんとしている姿も、深緑の髪の少年が地を割らんばかりに杖の先端を叩きつけている姿も見えることだろう。
しかし、双子の兄妹は決して屈しない。
橙と青という異なる色の瞳がきらりと交錯するや否や、右手と右手の掌を互いに合わせる。
「「……交代!」」
重なった声は、空高く響く。
傷だらけの繚はもちろん、多少治癒をして貰った柳ですら必ずしも本調子とは言い難い。二人はそれを重々承知の上で、はっきりと頷き合った。
「それじゃ、早速……」
「反撃開始と行こうかしら?」
再び揃った『言葉の兄妹』は、やはり本質的に「同じ」もの。
まだ、諦めるには早すぎる。
2007.12.7 藍咲万寿