第四章[淀みの繭から破られし]
《7》
「も、も……もう一度言ってみろ、使いとやら」
《信じがたいか、戒棠?》
「……」
声の告げた事実に、隊長の威厳は脆くも崩れた。
《『言葉』の兄妹は……兄が黒き髪、妹が金の髪を持つ。――君はまさか、それを知らなかったのか?》
戒棠はぐ、と薄い唇を噛む。男の声を聴く前よりやつれたように見えるのはあくまで気のせいなのだろうが、それほど表情を強張らせているのは確かだ。
《あの二人は己が身を変化させる。実に奇妙なことだが、姿を変えると兄が『黒髪の少女』、妹が『金髪の少年』にしか見えなくなる》
「な……っ!? そんな……馬鹿な」
《馬鹿は君だろう》
最初から変わらず、声はどこか楽しそうに響いている。
《当主様は『よもや知らぬはずはあるまい』と仰った上で俺に言伝を頼んで来られたのだが、やはり期待外れか。さて戒棠、君はどうやって回避する?》
――気性の荒い、当主からの罰を。
あからさまに当主への恐怖心を揶揄し、傷口に塩を塗る。何者とも知れない男に好き勝手なことを言われるのは、とても我慢ならない。
だが反論することも出来ず、雄弁な声に翻弄されるばかりだ。
この者は確かに、当主の使いなのだろう。纏う気配の甚大さと言い殺気のおどろおどろしさと言い、並大抵の祭司では無い。ともすれば『音響』の指導者に拾われてもおかしくはあるまいし、これでどこかしらの祭円に属していないと見なすほうがずっと不自然だ。
通達する者と、される者と。
送り手と受け手の差を見せ付けられたことが、戒棠にとっては何よりも悔しかった。
「私の、間違い……だと……」
このままで現状を挽回出来るのか否か。良い案を巡らせようとするものの、平静を保つことが出来ず頭の中はその度にすぐ真っ白になってしまう。
冷や汗が止まらないのも相まって、戒棠の身体と思考回路はどんどん鈍っていく。
「となれば、あの時取り逃がしたのは……」
《『言葉』の兄妹、だな》
実際には背後に誰もいないのだと知りながらも、彼は思わず振り返る。
「お前……見ていたのか!?」
途端に走馬灯の如く甦る情景。
まるで塗りつぶされたかのような黒緑色の瞳をした少年と少女、すなわちそれが『言葉』の二人。
つまり彼らは敢えてすんなりと敵中に捕まり、堂々と「人違いだ」と叫び、最終的には見事に逃げおおせたと言うのか。
《人を覗きのように言うな。それも君の作戦かと思っていたのでね、聞き流してしまった》
飄々とした声のまま、第三者の弁明はなされた。声のみの男には幾らでも理由付けは出来る――苦しいのはやはり、隊長としての責任を背負った当人のみなのだ。
「さ、作戦……?」
そこまで追い詰められ、ふと『星』のことを思い返す。
『嘆きの星』も『怒りの星』も、「『輝ける眼』を用いた案内は不要」と連絡を入れて以来姿を見せていない。どこへ行ったのだろうか、悠長に油を売っている場合では無いと言うのに。
「ならば、当主様の使いよ。我らに付いて来た『星』の居場所はわかっているのか?」
《愚問だな》
声は即座に返した。
《彼らなら今、『言葉』を捕縛しようと躍起になっている所だ。……使えない君達のような部隊の代わりに、な》
◇ ◇ ◇
動けない。動かせない。
心身にまで侵食せんとする極度の負荷を感じながらも、極馬は諦めず『力』から逃れようともがく。
「束縛は人を殺す、か……お前の今やってることもそうだな、若君」
「否定はしないよ」
繚は目を逸らさずに言った。相手の皮肉も暴言も、受け入れることが何よりの反撃になる。
「わかって欲しい。僕達は闘いたくなんて無いんだ」
力は身を焼く刃に他ならず、束縛は人を殺す鎖に他ならない。
そして闘いとは、心を潰す槌。
「やるべきことがある。進まなければならない道がある。……だから、ここは譲れない」
「……知るかよ、お前のことなんて」
「だろうね。君には君の、絶望するだけの理由があるんだから」
「何だと?」
厭わしそうに眉間に皺を寄せ、極馬は橙の瞳を無意識に覗き込む。しかし繚は問いに答えず、胸の奥でぎしりと軋む己と妹の『過去』にも気付かない振りをしながら――緑の髪の少年の持つ『力』を、冷静に分析しようと試みていた。
(何よりも今は、この人のことを考えないと……)
打撃の瞬間に見た武器はよくしなっており、よってあの具現化した木(硬質な種と思われる)の杖そのものに多分な『力』を注入しているという訳では無さそうだ。
『力』で打撃を補強してはいない。打撃は推測するに、少年の元々の肉体的強さから来ているのだろう。
また、少年は風圧を掛けた時に柄を強く握っている。
おそらくは彼の体内の『力』を杖の先端まで直接通し、それを操ることでこちらを圧倒する凶器と成しているに違いない。
(闘いを好む祭司に多い能力だな)
繚はあっけ無く吹き飛ばされた瞬間を回想し、身震いする。攻撃を認識するのと同時に術を口に出来たのは、ひとえに反射神経の優秀さ故であろうか。
(……闘うことに躊躇が無い。後天性の祭司か? いや、でも)
「……どいつも……こいつも……」
けれども、そこまでで分析は打ち切られる。
何をどうやったのかはわからないが、『縛』の術を掛けていたはずの極馬の身体が動き出したのだ。
「え、どうして……」
「くだらねぇんだよ、繚=言葉! 何も知らないくせに、俺に構うな!!」
驚いた繚は話しかけようとしたものの、血を吐くような怒鳴り方に気圧されて緘口する。同時に相手の手に視線を送ったことで、余計に絶句せざるを得ない。
見れば、極馬は今しがた握っていたはずの杖を捨てていた。
「君は……君は、何を……?」
「黙れ!!」
「……っ」
言い終える前だけの暇など少したりとも与えられない。
まして攻撃も仕掛けずに考え込んでいた繚の態度は、拘束されていた少年を怒らせるに足りて余りあるものであったらしい。飴色の瞳が剣呑に光り、今度は逆に繚の側を射すくめる。一方で発せられる罵声自体は、聞き分けの無い子どものようにも思えるのだが。
「お前如きに舐められたとあっちゃ『時間』の名が廃る……ふざけんな、ちくしょう!」
「……」
地面に転がる黒い柄は夜の闇の中に溶けてしまい、一見すると緑の飾り紐と房だけが浮いているようだ。そんな武器を捨てた理由を結局尋ねることも出来ず、繚は困惑を隠せないまま相手の出方を待つことにする。
その判断を下した一瞬の間に、間合いを素早く詰められることになるとも気付かず。
忽然。
繚の脇腹に、極馬による強打が加わった。
言い表せない激痛に叫ぼうとしたが、開いた喉の奥は身体に掛かった負荷のせいか声を出すことすらままならない。
「……っ!?」
先刻跳ね飛ばされた時と同じ場所への攻撃とあっては、ダメージも甘くない。
加えてそれは杖を媒介にした『力』では無く、空いたばかりの拳で以って放たれた『力』だ。繚を確実に傷付け、次いで防御の時間一つ許さない痛みを押し付けてくる。
「く……っ、っ……う……」
「だから言っただろ? 痛い思いをしても仕方ないよな、って」
籠もった呻きには耳も貸さず、繚を戸惑わせた激情の欠片さえ見せずに――ただ冷ややかな声で少年は言う。
「だから俺なんかに付け入られるんだ。……厄介な拘束も、案外上手く逃げられたしな」
(何で……『縛』の術から抜け出せたんだ?)
言われてみれば、極馬の子どもじみた言動に動揺したというのは当たっている。だが繚も『力』を緩めたつもりは無かった。
無意識にやったか、あるいは。
(……彼に『解かれ』た……?) そうだ、その可能性もある。
これを一つの仮説とするならば、次に気になるのは「どうやって術を解いたのか」だ。
「案外余裕だな、繚=言葉。……何を考えてる?」
「!!」
少年に思考を見透かされたようで、総毛立つ。そして現実に引き戻された脳内から再び痛覚の信号が巡り、繚は堪らずうずくまってしまった。
剣先では無いため血は出ていないようだが、今脇腹を見れば赤く(場合によっては青く)なっていることだろう。周辺の骨は折れていないと信じたい。息苦しさだけはどうにもならず、肺にまで上手く酸素が入っていかないような気がする。
いっそ痛覚が麻痺してしまえば良いのに、と不埒なことを思う。
「痛いか? 痛いだろうな、そりゃあもう」
「う……」
「躊躇ってんじゃねぇよ。攻撃するならもっとしっかりやれって」
地に片膝をついたまま、極馬を見上げる繚。
その口ぶりにはからかいの断片が探し出せるものの、標的を映し出す視線は徹底して下位の者に向けられる類のものだ。
完全に、繚に失望している。
喋ることも出来ずに黙っていると、「立てよ」と上から声が落ちてきた。
「つまんねぇ。少しは骨のある奴かと思ったが、見当違いだったみたいだな」
のろのろと膝を伸ばせば――右の頬を力任せに殴られ、立ち上がったのも束の間地面に叩き付けられる。繚は抵抗もせず、「『力』が加わっていない一撃なだけましだった」などとぼんやり考えながらされるがままに倒れた。
口の中に血の味が広がっていく。気持ち悪い。
「ふん、何が『言葉』だ」
極馬は拳をすぐ解き、開いた掌を眺めつつ呟く。転がったままの繚が自身の頬を押さえて彼の表情を見れば、虚ろに揺らぐ飴色があった。
「……お前達が『希望』を司る一族だなんて、俺は絶対信じない」
「きぼ、う……?」
「だってそうだろ? 誰も俺達を救おうとはしないし、救ってくれる訳も無い。誰であっても『自分さえ良ければ、全て世はこともなし』だ」
喉が震えている。口元が自嘲気味につり上がっている。
――何故だかその姿は、涙を堪える気丈な子どものようにも思えた。
「……君、は……り……」
「何だよ」
脇腹も頬も痛い。けれどもその怪我を自分に負わせた少年の顔も、見れば見るほどに胸を痛め付ける。
(放っては、おけない)
そう思った時、全てのつじつまが合った。
(あ…………、そうか……!)
目を伏せる。身体を起こす。
混乱で血が上っていた頭は、外部からの刺激によってか随分と冷えている。
少年が武器を放棄した理由。拘束の術を解くことが出来た理由。『力』で抉られた脇腹と『力』を使わずに殴られた頬。ここで闘うべき相手は彼自身では無く、彼の持つ祭司としての能力だ。
闘いに昂揚し失念していた。妹に話せば呆れられてしまうだろう。
『だから「気をつけて」って言ったのに。……わかってなかったでしょう、繚?』
(……本当だよ、全く)
脳裏に腕組みをする柳の幻想が過ぎって、繚は笑みを洩らす。
「……?」
極馬は突然起き上がった繚の生き生きとした表情にたじろぎ、身を引く。相当な痛手を負った黒髪の少年からはやはりどこか隙だらけの印象を受けるにもかかわらず、その中にも妙な異変を感じざるを得ないのだ。
「いたたたたた……駄目だ、これは後で腫れるね」
「お前、とうとう狂ったか?」
「残念ながら、そうじゃないよ。僕には僕のやり方があるってことを思い出しただけ」
服の埃を払ってから唇の端に付着した血の赤を拭い、繚は極馬におっとりと微笑む。
「……この世に無駄なものなんて一つも無いからね」
これらの怪我も決して無駄では無かった。落ち着きを取り戻せば繚の瞳は再び煌き始め、加害者であるはずの少年を精神的に圧倒する。
「僕が君を引き付けた意味はちゃんとあった。だから僕は、もう迷わないで済む」
「……どういう意味だ?」
繚はゆとりの垣間見える笑みを崩さずに言った。
「君が何の祭司かようやくわかったよ。……緑の髪のお兄さん」
《信じがたいか、戒棠?》
「……」
声の告げた事実に、隊長の威厳は脆くも崩れた。
《『言葉』の兄妹は……兄が黒き髪、妹が金の髪を持つ。――君はまさか、それを知らなかったのか?》
戒棠はぐ、と薄い唇を噛む。男の声を聴く前よりやつれたように見えるのはあくまで気のせいなのだろうが、それほど表情を強張らせているのは確かだ。
《あの二人は己が身を変化させる。実に奇妙なことだが、姿を変えると兄が『黒髪の少女』、妹が『金髪の少年』にしか見えなくなる》
「な……っ!? そんな……馬鹿な」
《馬鹿は君だろう》
最初から変わらず、声はどこか楽しそうに響いている。
《当主様は『よもや知らぬはずはあるまい』と仰った上で俺に言伝を頼んで来られたのだが、やはり期待外れか。さて戒棠、君はどうやって回避する?》
――気性の荒い、当主からの罰を。
あからさまに当主への恐怖心を揶揄し、傷口に塩を塗る。何者とも知れない男に好き勝手なことを言われるのは、とても我慢ならない。
だが反論することも出来ず、雄弁な声に翻弄されるばかりだ。
この者は確かに、当主の使いなのだろう。纏う気配の甚大さと言い殺気のおどろおどろしさと言い、並大抵の祭司では無い。ともすれば『音響』の指導者に拾われてもおかしくはあるまいし、これでどこかしらの祭円に属していないと見なすほうがずっと不自然だ。
通達する者と、される者と。
送り手と受け手の差を見せ付けられたことが、戒棠にとっては何よりも悔しかった。
「私の、間違い……だと……」
このままで現状を挽回出来るのか否か。良い案を巡らせようとするものの、平静を保つことが出来ず頭の中はその度にすぐ真っ白になってしまう。
冷や汗が止まらないのも相まって、戒棠の身体と思考回路はどんどん鈍っていく。
「となれば、あの時取り逃がしたのは……」
《『言葉』の兄妹、だな》
実際には背後に誰もいないのだと知りながらも、彼は思わず振り返る。
「お前……見ていたのか!?」
途端に走馬灯の如く甦る情景。
まるで塗りつぶされたかのような黒緑色の瞳をした少年と少女、すなわちそれが『言葉』の二人。
つまり彼らは敢えてすんなりと敵中に捕まり、堂々と「人違いだ」と叫び、最終的には見事に逃げおおせたと言うのか。
《人を覗きのように言うな。それも君の作戦かと思っていたのでね、聞き流してしまった》
飄々とした声のまま、第三者の弁明はなされた。声のみの男には幾らでも理由付けは出来る――苦しいのはやはり、隊長としての責任を背負った当人のみなのだ。
「さ、作戦……?」
そこまで追い詰められ、ふと『星』のことを思い返す。
『嘆きの星』も『怒りの星』も、「『輝ける眼』を用いた案内は不要」と連絡を入れて以来姿を見せていない。どこへ行ったのだろうか、悠長に油を売っている場合では無いと言うのに。
「ならば、当主様の使いよ。我らに付いて来た『星』の居場所はわかっているのか?」
《愚問だな》
声は即座に返した。
《彼らなら今、『言葉』を捕縛しようと躍起になっている所だ。……使えない君達のような部隊の代わりに、な》
動けない。動かせない。
心身にまで侵食せんとする極度の負荷を感じながらも、極馬は諦めず『力』から逃れようともがく。
「束縛は人を殺す、か……お前の今やってることもそうだな、若君」
「否定はしないよ」
繚は目を逸らさずに言った。相手の皮肉も暴言も、受け入れることが何よりの反撃になる。
「わかって欲しい。僕達は闘いたくなんて無いんだ」
力は身を焼く刃に他ならず、束縛は人を殺す鎖に他ならない。
そして闘いとは、心を潰す槌。
「やるべきことがある。進まなければならない道がある。……だから、ここは譲れない」
「……知るかよ、お前のことなんて」
「だろうね。君には君の、絶望するだけの理由があるんだから」
「何だと?」
厭わしそうに眉間に皺を寄せ、極馬は橙の瞳を無意識に覗き込む。しかし繚は問いに答えず、胸の奥でぎしりと軋む己と妹の『過去』にも気付かない振りをしながら――緑の髪の少年の持つ『力』を、冷静に分析しようと試みていた。
(何よりも今は、この人のことを考えないと……)
打撃の瞬間に見た武器はよくしなっており、よってあの具現化した木(硬質な種と思われる)の杖そのものに多分な『力』を注入しているという訳では無さそうだ。
『力』で打撃を補強してはいない。打撃は推測するに、少年の元々の肉体的強さから来ているのだろう。
また、少年は風圧を掛けた時に柄を強く握っている。
おそらくは彼の体内の『力』を杖の先端まで直接通し、それを操ることでこちらを圧倒する凶器と成しているに違いない。
(闘いを好む祭司に多い能力だな)
繚はあっけ無く吹き飛ばされた瞬間を回想し、身震いする。攻撃を認識するのと同時に術を口に出来たのは、ひとえに反射神経の優秀さ故であろうか。
(……闘うことに躊躇が無い。後天性の祭司か? いや、でも)
「……どいつも……こいつも……」
けれども、そこまでで分析は打ち切られる。
何をどうやったのかはわからないが、『縛』の術を掛けていたはずの極馬の身体が動き出したのだ。
「え、どうして……」
「くだらねぇんだよ、繚=言葉! 何も知らないくせに、俺に構うな!!」
驚いた繚は話しかけようとしたものの、血を吐くような怒鳴り方に気圧されて緘口する。同時に相手の手に視線を送ったことで、余計に絶句せざるを得ない。
見れば、極馬は今しがた握っていたはずの杖を捨てていた。
「君は……君は、何を……?」
「黙れ!!」
「……っ」
言い終える前だけの暇など少したりとも与えられない。
まして攻撃も仕掛けずに考え込んでいた繚の態度は、拘束されていた少年を怒らせるに足りて余りあるものであったらしい。飴色の瞳が剣呑に光り、今度は逆に繚の側を射すくめる。一方で発せられる罵声自体は、聞き分けの無い子どものようにも思えるのだが。
「お前如きに舐められたとあっちゃ『時間』の名が廃る……ふざけんな、ちくしょう!」
「……」
地面に転がる黒い柄は夜の闇の中に溶けてしまい、一見すると緑の飾り紐と房だけが浮いているようだ。そんな武器を捨てた理由を結局尋ねることも出来ず、繚は困惑を隠せないまま相手の出方を待つことにする。
その判断を下した一瞬の間に、間合いを素早く詰められることになるとも気付かず。
忽然。
繚の脇腹に、極馬による強打が加わった。
言い表せない激痛に叫ぼうとしたが、開いた喉の奥は身体に掛かった負荷のせいか声を出すことすらままならない。
「……っ!?」
先刻跳ね飛ばされた時と同じ場所への攻撃とあっては、ダメージも甘くない。
加えてそれは杖を媒介にした『力』では無く、空いたばかりの拳で以って放たれた『力』だ。繚を確実に傷付け、次いで防御の時間一つ許さない痛みを押し付けてくる。
「く……っ、っ……う……」
「だから言っただろ? 痛い思いをしても仕方ないよな、って」
籠もった呻きには耳も貸さず、繚を戸惑わせた激情の欠片さえ見せずに――ただ冷ややかな声で少年は言う。
「だから俺なんかに付け入られるんだ。……厄介な拘束も、案外上手く逃げられたしな」
(何で……『縛』の術から抜け出せたんだ?)
言われてみれば、極馬の子どもじみた言動に動揺したというのは当たっている。だが繚も『力』を緩めたつもりは無かった。
無意識にやったか、あるいは。
(……彼に『解かれ』た……?) そうだ、その可能性もある。
これを一つの仮説とするならば、次に気になるのは「どうやって術を解いたのか」だ。
「案外余裕だな、繚=言葉。……何を考えてる?」
「!!」
少年に思考を見透かされたようで、総毛立つ。そして現実に引き戻された脳内から再び痛覚の信号が巡り、繚は堪らずうずくまってしまった。
剣先では無いため血は出ていないようだが、今脇腹を見れば赤く(場合によっては青く)なっていることだろう。周辺の骨は折れていないと信じたい。息苦しさだけはどうにもならず、肺にまで上手く酸素が入っていかないような気がする。
いっそ痛覚が麻痺してしまえば良いのに、と不埒なことを思う。
「痛いか? 痛いだろうな、そりゃあもう」
「う……」
「躊躇ってんじゃねぇよ。攻撃するならもっとしっかりやれって」
地に片膝をついたまま、極馬を見上げる繚。
その口ぶりにはからかいの断片が探し出せるものの、標的を映し出す視線は徹底して下位の者に向けられる類のものだ。
完全に、繚に失望している。
喋ることも出来ずに黙っていると、「立てよ」と上から声が落ちてきた。
「つまんねぇ。少しは骨のある奴かと思ったが、見当違いだったみたいだな」
のろのろと膝を伸ばせば――右の頬を力任せに殴られ、立ち上がったのも束の間地面に叩き付けられる。繚は抵抗もせず、「『力』が加わっていない一撃なだけましだった」などとぼんやり考えながらされるがままに倒れた。
口の中に血の味が広がっていく。気持ち悪い。
「ふん、何が『言葉』だ」
極馬は拳をすぐ解き、開いた掌を眺めつつ呟く。転がったままの繚が自身の頬を押さえて彼の表情を見れば、虚ろに揺らぐ飴色があった。
「……お前達が『希望』を司る一族だなんて、俺は絶対信じない」
「きぼ、う……?」
「だってそうだろ? 誰も俺達を救おうとはしないし、救ってくれる訳も無い。誰であっても『自分さえ良ければ、全て世はこともなし』だ」
喉が震えている。口元が自嘲気味につり上がっている。
――何故だかその姿は、涙を堪える気丈な子どものようにも思えた。
「……君、は……り……」
「何だよ」
脇腹も頬も痛い。けれどもその怪我を自分に負わせた少年の顔も、見れば見るほどに胸を痛め付ける。
(放っては、おけない)
そう思った時、全てのつじつまが合った。
(あ…………、そうか……!)
目を伏せる。身体を起こす。
混乱で血が上っていた頭は、外部からの刺激によってか随分と冷えている。
少年が武器を放棄した理由。拘束の術を解くことが出来た理由。『力』で抉られた脇腹と『力』を使わずに殴られた頬。ここで闘うべき相手は彼自身では無く、彼の持つ祭司としての能力だ。
闘いに昂揚し失念していた。妹に話せば呆れられてしまうだろう。
『だから「気をつけて」って言ったのに。……わかってなかったでしょう、繚?』
(……本当だよ、全く)
脳裏に腕組みをする柳の幻想が過ぎって、繚は笑みを洩らす。
「……?」
極馬は突然起き上がった繚の生き生きとした表情にたじろぎ、身を引く。相当な痛手を負った黒髪の少年からはやはりどこか隙だらけの印象を受けるにもかかわらず、その中にも妙な異変を感じざるを得ないのだ。
「いたたたたた……駄目だ、これは後で腫れるね」
「お前、とうとう狂ったか?」
「残念ながら、そうじゃないよ。僕には僕のやり方があるってことを思い出しただけ」
服の埃を払ってから唇の端に付着した血の赤を拭い、繚は極馬におっとりと微笑む。
「……この世に無駄なものなんて一つも無いからね」
これらの怪我も決して無駄では無かった。落ち着きを取り戻せば繚の瞳は再び煌き始め、加害者であるはずの少年を精神的に圧倒する。
「僕が君を引き付けた意味はちゃんとあった。だから僕は、もう迷わないで済む」
「……どういう意味だ?」
繚はゆとりの垣間見える笑みを崩さずに言った。
「君が何の祭司かようやくわかったよ。……緑の髪のお兄さん」
2007.8.3 藍咲万寿